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【本】女性ほど粗暴な動物はない、と言った人のエッセイ集

講談社出版の亀井勝一郎氏の人生論集5を読んだ。その上で適当に感想や紹介など。

亀井勝一郎氏は昭和の著名な文芸評論家で、人生論や恋愛論を記した本は当時のベストセラーになったほど人気のある人物だったようだ。

この人生論という本の帯を見ると、亀井勝一郎氏の透徹した思索のエッセンスが凝縮された厳選されたエッセイを集めたものだそうだ。

その中には、唸らされるものもあれば、何を思ってそんなことを言っていたのが分からないというものもある。

特に本の最初の方で出てくるエッセイには、こんなことが書いてある。

繊細な感覚といわれるすべては男性のものである。女性ほど粗暴な動物はない。これは繰返し言われるべき真理である。

ハッキリ言って、なんて時代錯誤なことを言う人物なのだろうと思った。自分なりに意図を汲んでみようとしたが、無理だった。

全体を通して、政治や芸術に対するエッセイが多く、言葉遣いも難しく、何が言いたいのか分からないというより、それを言って何を伝えたいのか分からないと思ってしまうエッセイが多かった。

なのでほとんど飛ばし読みに近い感じで読んでいたのだが、考えさせられるものや、素直に面白いと感じたり、なるほどと思うエッセイもあった。

気に入ったもの、なるほどと思わされたものなどを少しばかり紹介しながら、つらつらと感想などを書いて見たいと思う。

冷笑、これが最大の罪悪だ。人からは空想的と思われることでも、それが最高の道だと思ったら進んで行くがいゝ。だれでもあらゆる国との平和をのぞんでいる。実際問題としては達せられそうもない。それは空想だと冷笑される。空想でも万人がそれをのぞんでいる以上、ほんの一歩、ほとんど眼につかないほどの距離でも、その方へ一歩進んで行くべきである。冷笑は人間のそういう芽を殺す一種の犯罪だ。

世の中には、特にインターネットの上を歩いていると、冷笑に満ち溢れているように思える。それらが人の何かを殺いでいるような感覚はずっとあった。

なんて嫌な世の中なのだろう、というくらいの考えではあったが、一種の犯罪という言葉は言えていると思う。

自分らしくという言葉は近年ではよく使われるが、冷笑がそれを邪魔している部分は多いと思う。自分らしく振る舞えない理由の大きな1つには、周囲の冷笑が怖いというのがある。まあ、単純に理想と現実のギャップに苦しんでいるだけというのもあると思うが。

最高の道だと思ったなら、周囲の冷笑など気にせず進むことが自分らしくあることに繋がるし、冷笑で何かの芽を摘んでしまわないように気をつけるべきだろうということを考えさせられた。

他人の悲惨な姿を指差すことで自分の言葉を飾るのも亀井勝一郎は一種の犯罪だと言っている。

多忙であることによって、自分は何か仕事をしたという錯覚を抱くことが出来る。多忙とは現代における怠惰の一形式ではなかろうか。

これだけだと忙しく働いている人をバカにしてるだけに見えてしまうけれども、後に人生の幸福について語っているところで、亀井勝一郎氏は「幸福の反対は不幸ではなく、怠惰なのではないか」といったことを書いており、幸福のためにお金を稼ごうとするなら働かなければならないとも言っている。

何が言いたいか自分なりに解釈してみると、忙しいことには何も意味がなくて、その結果生み出された成果が仕事なのだということかな。

何かをやったという満足感に浸ってそこで終わってしまうことが僕は多々あるので、そんなときは実際にどんな成果を生み出したか、多忙という怠惰に浸っていないかを自分に問わなければならないなと思った。

他に面白かったエッセイ

長いので引用することはできないが、非常に面白いと思ったエッセイの中に、現代の5つの誘惑という章の中にある、面白がらせることへの誘惑というものがあった。

現代では批評の基準が面白いかそうでないかということで割りきられていると語られていた。その後の賞賛への誘惑というものと合わせて、確かにそうだなと思わされた。「面白いという言葉は面白い」という言葉が紹介されていたが、面白いという言葉は現代では物凄い力を持っている。

だからこそ面白がらせたいという誘惑が、何か大事なことを蔑ろにするというのは確かにあるかもしれないと思った。

政治の話で面白いと思ったエッセイ

さて最後に、この人生論の多くを占めているにも関わらずほとんど興味を持てなかった政治の話の中で、唯一面白かったエッセイについて語って、この長い感想日記を終わろうと思う。

要約すると、政治家って演説とか議論するときの熱弁が大袈裟すぎやしないかということが書かれている。

選挙演説などのときもそうで、候補者の声は一オクターブほど高い。それだけならまだしも、胸をそらし、腕をふりあげ、コブシで卓の上をどんと叩いたりするのをみると、私はその人が発狂直前にあるのではないかと疑いたくなる

発狂直前という表現が妙にツボに入って笑ってしまったのだが、大袈裟なジェスチャーや大きな声で何かをアピールするのが現代では雄弁に映るのかもしれない。

一方、紳士の国のイギリスではその逆のようだ。聴衆に強い衝撃を与える言葉ほど、効果をねらわず、問題だけを取り扱えるように努力するのだそうだ。とあるイギリスの政治家の後世に残るほどのある名言が、極めて冷静に語られたかということが紹介されていた。これが英国流の雄弁なのだそうだ。

僕は国会中継を見ていて、常日頃思っていることがある。「ヒートアップしながら他人を落とそうとするばかりで、ちゃんと国のための話し合いができているのか?冷静に話し合った方が良いんじゃないか?」と。

そう思っていた僕にとって、英国流の雄弁はまさに理想的なものだと思った。パフォーマンスで議論なんかしてるから日本は政治が下手なんじゃないかと思えるのだ。

我々は事実よりも、事実の誇張によって脅かされている場合がよくある。

読み飛ばしたところも多くてあまり他人に勧めたい本では無いけど、こういうことが書いてあったりするから侮れない。非常に疲れる本なのでおそらく二度と読み返すことは無いだろうが、他人の割と尖った思想に触れられる面白いエッセイ集だった。

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